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食育の世界でなにかしてみたい人、活躍してみたい人、必見!
人気「野菜ソムリエ」と「プロダクション・チーフ」が
食育の世界にご案内します。
◆◆◆
チーフの松宮園生です。
今回も食事中には不向きな話題です。
全米がそうなのか、ここシアトル近辺だけがそうなのか、はたまた
「なにいってんの松宮さん。日本にもあるよ」
と言われてしまうのか未確認ですが、ドラッグストアに入ると、あるグミ製品をよく見かけます。
グミです。手のひらくらいの袋に入った、グミなんですが。
なんで題名に「食育グミ」と書いたのかというと、その商品の袋に
「子供の学習意欲を高めよう」
「生き物に対する子供の関心を高めるお菓子です」
と、食育っぽいことがエラソーに書かれているからです。
で、どんなグミかなーと思ってとりあえず買ってみました。
袋を開けて中身を出しました。
すると、全身の毛が、逆立ちました。
何匹ものミ××が塊になって出てきたのです。
ミ××です。
畑を耕したり、草むしりをしたりすると土の中から出てくる、あのニョロけた生き物です。
土を豊かにしてくれる、農業には欠かせない、(僕以外の)人類にとって、友人です。
もうお分かりですね。
恐れ多いので、フルネームは書かずに伏字とさせていただきます。
袋から、どさっと出てきたのです。
ホラーだ。
膝が震えました。
失禁寸前の、あの追い立てられるような感覚。
冷汗をたらしながら勇気を出してよく見ると、あくまでもグミでした。
本物のミ××ではありません。
しかし、ミ××そっくりな形に作られたグミのお菓子。
色は、さまざまです。
カラフルなミ××の、袋詰め、というわけです。
強調しますが、形はかなり、リアルです。
グミと分かっていても、気持ち悪くて触れません。
袋をよく見たら、堂々と
「ミ××グミ」
と書かれていました。
「ミ××グミ? そんな商品、誰が買うっつーんだよ。あ、オレが買ったか」
と、僕はさみしく、自分にツッコミました。
余裕のセリフ、というわけではありません。
なにかしゃべらないと、間違いなく失禁すると思ったからです。
グミって、たしか食べ物だよな…。
◆◆◆
この「食育グミ」、あちこちのドラッグストアで普通に売ってます。
いまでも店頭から消えずに残っていることから察すると、どうやらそこそこ売れてるらしい。
なんてことだ…。
つーか、目の前の、机の上の、このグミの塊。
さ、触れない。
しかし、母親から「食べ物を粗末にするな」と厳しく言われて育っています。
どうすんの。
どうすんの松宮。
(ぜったい続きません)
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チーフの松宮園生です。
英語の失敗談をひとつご紹介。
食事中に読まないほうがいいかも。
◆◆◆
もうずいぶん前の話です。
シアトルからクルマで30分くらいのところにタコマという町があります。
そこのショッピングモールにある日本食屋「ハニコ」で昼食をとりました。
ラルフという、運送会社の社長と一緒でした。
ハニコはかつてはハナコという名前でしたが、みんなハニコと呼ぶのでハニコに改名したそうです。
ハニコはわりと気に入りの店です。
松宮はラーメンとかお好み焼きとかもけっこう好物でして。
ハニコはその辺のメニューがなかなか旨かったのです。
お好み焼きはガイジンに説明しやすい料理です。
「ジャパニーズ・ピザ」
と言えばいいので。
それに比べたら「西京焼き」とか「かぶら寿司」とか「ゴリの佃煮」とかは、説明がめちゃ大変です。
(説明する羽目におちいったことはないけど)
さて、ラルフは日本食屋にはあまり詳しくない人間でした。
「何を食べればいいんだ? おすすめは?」
と聞かれたので、
「あんたはジャパニーズ・ピザを食え。僕はラーメンを食う」
こういうのは、迷える子羊のために、決めつけてあげることも重要です。
案の定というか、ピザ好きのラルフは迷うことなくジャパニーズ・ピザを注文しました。
僕は醤油とんこつラーメンを注文しました。
醤油とんこつラーメンが運ばれてきました。
「なんだそれは」とラルフが聞いてきました。
僕は割り箸を割りながら「ヌードルだ」といいました。
するとラルフは、
「そんなことは分かっている。なんのヌードルか知りたい」
困りました。醤油とんこつなんて英語で説明できません。
「ピッグ(豚)ボーン(骨)スープ・アンド・ソイソース(醤油)ラーメン・ヌードル」
なんて知ってる単語をテキトーに並べました。
ラルフは神妙にうなずいていましたが、分かったのか分かってないのか。
次に、アツアツのお好み焼きが運ばれてきました。
ところが、ラルフは眉をしかめて食べようとしません。
「どしたの?」
と聞くと、彼はなにか質問しました。
質問されているのは分かったのですが、英語が理解できなかったので、短気なヤマトダンジ松宮もメンドくさくなり、
「イエス。イエス。ノープロブレム」
とかなんとか、テキトーに返事しました。
するとラルフの顔色が変わりました。青くなったのです。
ラーメンをすすりながら横目で見ると、ラルフ社長、なにやら祈りながら恐る恐るお好み焼きを食べています。
いや、食べるというよりは、隅の方を少しずつかじっている感じです。
ちょっと涙目にもなっていました。
結局ラルフちゃん、お好み焼きをおおかた食べ残してしまいました。
会計を終えてチップも払い、ハニコを出た後、駐車場にとめてあるクルマまで歩きながら、僕はラルフに聞きました。
「ジャパニーズ・ピザだけど、美味しくなかった?」
「いや味はよかったのだが」ラルフは言いました。「でも××××を食べるのは、ちょっとオレには難しい」
××××の部分がよく聞き取れなかったので、僕は紙とボールペンを取り出して言いました。
「あんたがいま何ていったのか分からないので、ここに書いてよ」
「いいとも」
ラルフが書いたのは、
「バグ(昆虫)の羽」
という言葉でした。
◆◆◆
あちゃー(←死語)。
今度は僕の顔色が変わりました。
(自分で分かるのかよ)
アツアツのお好み焼きに振りかけられたカツオブシが、熱のせいで変形して動き回っているのが、彼には昆虫の羽が動いているように見えたらしい。
で、
「これは何か? 昆虫の羽か?」
とラルフは僕に質問し、僕ってば、
「イエス。イエス。ノープロブレム」
といい加減に答えてしまったわけです。
困ったことになりました。
このまま訂正せずに放っておくと、「日本人はピザに昆虫の羽をかけて食べる」という大誤解がラルフに定着してしまいます。
かといって訂正すると、あのときに「イエス。イエス。ノープロブレム」と答えた松宮は極悪人になってしまいます。
しかもこのままでは、大阪または広島から刺客が送られてきます。
どうすんの。
どうすんの松宮。
(続きません)
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チーフの松宮園生です。
(前回のあらすじ)
小判大介君の元カノ(別途、妹が2人います)は観月ありさに少し似ていたそうですが、まるでブルーチーズやカラスミのような、濃厚な食育一家の出身でした。
◆◆◆
小判大介の話によると、元カノの家族構成はこうでした。
父親:大工の棟梁。星一徹が食育に興味をもったらこんなお父さんになる、という感じだそうです。
母親:もとミス福岡。なんでこのお父さんと結婚したかは誰にもわからないらしい。
元カノ(長女):観月ありさ似。OL。東京在住。
次女:姉には似ていない。大学3年生。医学部。
妹(三女):観月ありさ似。大学生1年生。文学部。
◆◆◆
元カノの親父さんが定めた、実家の家訓です。
第1条:「いただきます」を言い忘れた場合、食後に空気椅子15分。
第2条:「ごちそうさま」を言い忘れた場合、ブリッジ30分。
第3条:正当な理由なく食事を残した場合、腕立て伏せ100回。
第4条:食事中、すべての料理について母親に何かコメントをすること。コメントできなかった場合、アルジェリアン・スクワット100回。
第5条:1度言ったコメントは2度と使わない。毎回表現を変えること。同じコメントを2度使ったことが分かった場合、腹筋100回。
第6条:食事マナーに反した場合、違反1回につき空気椅子15分。
第7条:背筋を伸ばして食卓につくこと。姿勢が悪い場合、倒立1時間。
第8条:原産地を知らない食材があった場合、必ず母親に聞くこと。聞かずに無視した場合、踏み台昇降30分。
第9条:味つけが変わった場合、ただちに気がついて母親にコメントすること。気がつかなかったり無視した場合、素振り1000回。
第10条:昼食の場で、必ず1度は農業を礼賛する話題を提供すること。忘れた場合、グラウンド10周。
第11条:夕食の場で、必ず1度は栄養学についての話題を提供すること。忘れた場合、ななめ懸垂100回。
おかげで元カノ3姉妹は、全員がスポーツでインターハイ出場を果たしました。
◆◆◆
元カノの親父さんが定めた、実家の教育方針です。
6歳までに、国産野菜の産地をすべて覚えること(地理)
7歳までに、近所の寿司屋で出てくるすべての魚の名前を漢字で覚えること(国語)
8歳までに、100年以上続く老舗の食品会社の名前と商品をすべて覚えること(社会)
9歳までに、100種類の果物の名前を英語で覚えること(英語)
10歳までに、主要ミネラルの元素記号をすべて言えるようになること(理科)
11歳までに、調味料はなぜ「さしすせそ」の順番で入れるのか、科学的に説明できるようになること(理科)
12歳までに、「なぜ日本の食料自給率はカロリーベースで40パーセントに下がってしまったのか」を説明できるようになること(歴史)
13歳までに、「食品成分表」の見方と使い方をマスターすること(算数)
14歳までに、100人のエコファーマーと知り合いになること(総合学習)
15歳までに、「美味しんぼ」全70巻(当時)を暗唱すること(漫画)
おかげで元カノ3姉妹は、全員が九州大学に現役で合格しました。
◆◆◆
そんな一家だそうです。
説明が終わったあと、小判大介は嘆願するように言いました。
「松宮師匠。というわけで、一緒に九州に行ってくれませんか」
「あははは。いや、おれは忙しいから…」
「師匠は食育の人材育成をしてるんですよね。師匠の理想の家庭を見れるんですよ」
「いやいや、残念だけどオレはいいよ。オレに遠慮せずに結婚してこい」
「航空券も用意しました」
「いやいや、お熱いふたりの邪魔はしたくないし」
「ほら、妹たちの写真です。ほらほら」
「いやいや、オレのタイプじゃないし」
「なに遠慮してんですか、写真見もしないで」
「いやいや、ちらっと見えたし、それで十分だし」
「それは嘘ですね。まったく見てませんよ。現実から逃げずにちゃんと見ましょうよ」
「いやいや、見たってば」
「じゃあ、2人がどんな髪形してたか言えますか?」
「そ、それはだな、片方がワンレン(←死語)で、片方はボディコン(←死語)だったな」
「ほらやっぱり見てないじゃないスか。2人ともワンレンじゃないし、ボディコンは髪形じゃありません。第一、そんな昭和な単語、よく覚えてますね」
「年齢がバレるってか。あはは」
「そうスよ。あはは」
「おあとがよろしいようで。そろそろお開きにしよか」
「甘いス。その手には乗りません。師匠は僕と一緒に食育一家を視察してください。航空券は用意しました。2人の美人の妹たちも師匠を待っています。ここで逃げたら男がすたります」
「男はもう、すたっているからいいよ。師匠に九州旅行をプレゼントしようという優しい気持ちは嬉しいが、気持ちだけ頂戴するよ」
「師匠! トイレに逃げ込むつもりスね。そうは問屋がおろさじ」
◆◆◆
ドタバタ(←死語)な会話、まだ続きそうですが、このへんでおしまい。
小判大介は松宮園生を引きずりこむことに失敗、ひとりで福岡に向かいました。
その後の運命は、ご想像のとおりです。
(このシリーズはここまで)
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チーフの松宮園生です。
(前回までのあらすじ)
葉竹さんと多賀安さんは学生のころからの天敵でした。
その2人が、アグリドラゴンの経営を巡ってついに激突しました。
◆◆◆
さっさと種明かしをしましょう。
この2人は学生運動に参加し、大学のキャンパスで放水したり、ゲバ棒を振り回したりしていました。
その点は共通していたのですが、参加していた学生組織が別々で、お互い主義主張が対立していたのです。
彼らが大学生になって3年目に、学生運動は下火になりました。
下火にはなりましたが、あきらめ切れない一部の学生は、運動を続けます。
ただし放水やゲバ棒は使わず、ビラを配ったり街頭演説をしたりというソフト路線に転換していました。
葉竹さんも多賀安さんも、大学生になって3年目ではありましたが、留年していてまだ1年生でした。
学生運動が下火になって学業に専念するかと思えば、両名ともその気配はまったくなく、今度はビラ配りと街頭演説に精を出すようになります。
ゲタを鳴らし、腰に手ぬぐいという「留年型学生」風貌も板についてきました。
しかしここでも主義主張の対立は相変わらずでした。
片方がビラを配れば、もう片方がそれを妨害せんと同じ場所でビラを配ります。
片方が街頭演説すれば、もう片方も負けじと同じ場所で演説します。
よせばいいのに、わざわざ同じ場所で活動するものですから、いつでも衝突していました。
◆◆◆
そんな彼らにも、大学を卒業する日が近づいてきました。
バリバリに学生運動をしていた学生は、卒業しても就職しないことがほとんどでした。
企業のほうがそういう学生を採用しないというのもありましたし、学生のほうでも
「就職なんかするやつは脱落者だ」
と考えていたようです。
ところが2人とも、農業資材を扱う会社に就職します。
農業系は学生に不人気だったため、
「学生運動してようと遊び呆けていようと、バカでもチョンでもなんでもいいから採用する」
という会社が多かったのと、学生のほうでも、
「農業だったら脱落したことにはならない」
という認識だったようです。
なぜ農業だったら脱落したことにならないのかは僕も不勉強でよく知りませんが、当時の工業(第2次産業)や商業(第3次産業)には「資本主義の悪魔」みたいなイメージがあったみたいで、それに対して農業(第1次産業)には「資本主義に毒されていない純粋なイメージ」があったのかもしれません。
彼らが就職したのは別々の会社です。
「お約束」というかなんというか、お互いライバル企業でした。
今度は「商売敵」としての衝突が始まります。
しかし2人とも数年後には独立していました。
葉竹さんは上司と喧嘩して会社を飛びだし、農業コンサルタントを名乗りました。
多賀安さんは社長と喧嘩して会社を辞め、同じく農業コンサルタントを始めます。
「北の多賀安、南の葉竹」時代が開幕したのでした。
(以下次号)