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(前回までのあらすじ)
葉竹さんと多賀安さんは学生のころからの天敵でした。
その2人が、アグリドラゴンの経営を巡ってついに激突しました。
◆◆◆
さっさと種明かしをしましょう。
この2人は学生運動に参加し、大学のキャンパスで放水したり、
ゲバ棒を振り回したりしていました。
その点は共通していたのですが、参加していた学生組織が別々で、お互い主義主張が対立していたのです。
彼らが大学生になって3年目に、学生運動は下火になりました。
下火にはなりましたが、あきらめ切れない一部の学生は、運動を続けます。
ただし放水やゲバ棒は使わず、ビラを配ったり街頭演説をしたりというソフト路線に転換していました。
葉竹さんも多賀安さんも、大学生になって3年目ではありましたが、留年していてまだ1年生でした。
学生運動が下火になって学業に専念するかと思えば、両名ともその気配はまったくなく、今度はビラ配りと街頭演説に精を出すようになります。
ゲタを鳴らし、腰に手ぬぐいという「留年型学生」風貌も板についてきました。
しかしここでも主義主張の対立は相変わらずでした。
片方がビラを配れば、もう片方がそれを妨害せんと同じ場所でビラを配ります。
片方が街頭演説すれば、もう片方も負けじと同じ場所で演説します。
よせばいいのに、わざわざ同じ場所で活動するものですから、いつでも衝突していました。
◆◆◆
そんな彼らにも、大学を卒業する日が近づいてきました。
バリバリに学生運動をしていた学生は、卒業しても就職しないことがほとんどでした。
企業のほうがそういう学生を採用しないというのもありましたし、学生のほうでも
「就職なんかするやつは脱落者だ」
と考えていたようです。
ところが2人とも、農業資材を扱う会社に就職します。
農業系は学生に不人気だったため、
「学生運動してようと遊び呆けていようと、バカでもチョンでもなんでもいいから採用する」
という会社が多かったのと、学生のほうでも、
「農業だったら脱落したことにはならない」
という認識だったようです。
なぜ農業だったら脱落したことにならないのかは僕も不勉強でよく知りませんが、当時の工業(第2次産業)や商業(第3次産業)には「資本主義の悪魔」みた いなイメージがあったみたいで、それに対して農業(第1次産業)には「資本主義に毒されていない純粋なイメージ」があったのかもしれません。
彼らが就職したのは別々の会社です。
「お約束」というかなんというか、お互いライバル企業でした。
今度は「商売敵」としての衝突が始まります。
しかし2人とも数年後には独立していました。
葉竹さんは上司と喧嘩して会社を飛びだし、農業コンサルタントを名乗りました。
多賀安さんは社長と喧嘩して会社を辞め、同じく農業コンサルタントを始めます。
「北の多賀安、南の葉竹」時代が開幕したのでした。
(以下次号)
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