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松宮園生です。
松宮園生の生まれ故郷じゃないか?
という疑惑が持ち上がっているテケテケ村。
知り合いの若者が、そのテケテケ村で農業を始めました。
その若者の名前は、小判大介といいました。
小判君がテケテケ村で始めたのは、イチゴのハウス栽培です。
ついでに山羊を一匹、飼い、メリーというベタな名前をつけました。
彼は農業を始めると同時に結婚するという「離れ業」をやってのけました。
なぜこれが「離れ業」なのかというと…。
農業を始める、ということは、サラリーマン(会社勤め)をやめて独立するということです。
どんな仕事でも、独立した当初は何かとたいへんですので、たいていの人はそのタイミングで結婚することはありません。
仕事が軌道にのって、家族を持てるようになったら結婚する、というのが、まあ普通ですよね。
もちろん、例外はつねにありますけど。
くわえて、農業は「辛く苦しい仕事だ」という一般のイメージが強いので、都会の親たちは自分たちの娘が農家と結婚するのを喜ばない傾向にあります。
これは、就農センターの人たちであったり、農業をしている方々の一部が、
「農業は辛く苦しい仕事だ。お金にもならないし、異性にもモテない。だから覚悟のあるヤツ以外は来るな」
ということをあちこちで言いまわっているせいでもあります。
なぜ自分たちの仕事の悪口を言いまわるのか、その心理には納得できない部分がありますが、ここではその話をするのはやめておきます。
そういうわけで、
* 独立してすぐに結婚したこと
* その仕事が世の親たちに不人気な、農業であること
という2つの理由により、小判君の結婚は「離れ業」だったのです。
愛の力ですね。
2人はふつうに恋愛をして、ふつうに結ばれたのですが、女性のほうの母親は案の定、2人の結婚にあまりいい顔をしませんでした。
とはいえそこは自由の国、日本。
社会的な慣習がどうであるかはさておき、法律上、当人同士が結婚しようと思えば、誰も止めることはできません。
◆◆◆
小判君が結婚したのは、旧姓、天道ゆかりさんという人です。
ゆかりさんの母親は未婚の母でした。
恋多き女性だったらしく、結婚する機会は何度もあったと思われるのですが、とうとう結婚しませんでした。
というわけで、ゆかりさんは自分の父親を知らないまま、母親に育てられました。
ゆかりさんはひとりっ子でした。
つまり、母ひとり、子ひとり、の親子だったわけです。
この母親は典型的な「風と共に去りぬ型」女性のタイプで、東京の西銀座でアパレルショップを経営し、ふつうのサラリーマンよりも贅沢な暮しをしていました。
男性との交際が上手だったのもあり、資金の援助もときどき受けていたようです。
彼女は「子どもを支配したがる母親」のタイプでもあり、ゆかりさんの行動には細かく口をはさんでいました。
たとえば女が生きていくためには「ルックス」と「フェロモン」が欠かせない、というのが母親の持論で、その信念のもとに、ゆかりさんを着せかえ人形のように扱おうとしました。
服も母親がボディコン(←死語)っぽいのを選び、着こなしも母親が決め、化粧品も母親が選び…。
でもゆかりさんは、自分の着たいものを着たい人でした。
思春期以降、ゆかりさんと母親が感情的に衝突することが多かったのも無理はありません。
ゆかりさんが小判君とさっさと結婚したのも、ひとつにはこの母親の支配から早く逃れたかった、というのがあったのかもしれません。
◆◆◆
結婚によって母親の支配から逃れたかったゆかりさん。
当初、その意図は成功したように見えました。
母親の反対を押し切って結婚した結果、母親はしばらくのあいだ娘と会おうとしなかったからです。
しかし結婚してしばらくたったころ。
ゆかりさんの母親から電話がかかってきました。
夫婦の新居を見るために、テケテケ村までやってくるという電話でした。
(以下次号)
<参考書籍>
「農で起業する! 脱サラ農業のススメ」
http://astore.amazon.co.jp/shokuikuprodu-22/detail/4806713015