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松宮園生です。
(前回のあらすじ)
僕の前にあらわれた、魅力的な怪力の女性、田口弥生。
しかしその正体は、あの佐久間象子の妹でした…。
(前回→http://www.shokuiku-pro.com/production/2008/08/1_28.html)
◆◆◆
「姉の名は佐久間象子といいまして…」
その言葉にコーヒーカップが僕の手から離れ、床に落ちました。
カップは割れませんでしたが、飲み残しのコーヒーは見事にこぼれてしまいます。
ティッシュペーパーを取るために、僕はあわてて立ちあがりました。
「ご、ごめんなさい」平謝りする田口弥生。「コーヒーってフードマイレージが大きいんですよね。それなのにわたしったら、台無しにしちゃった」
彼女は彼女なりにこぼれたコーヒーを何とかしようと思ったのでしょう、いきなり自分の着ていたブラウスの袖をびりびりと引き裂き、それで床を拭きはじめます。
ティッシュペーパーの箱を持ったまま、あっけにとられる松宮。
床を拭きおわると、彼女はさっきまでブラウスの袖だった布を屑かごに捨て、椅子に座りなおしてバツが悪そうに下を向きました。
床を拭くために屈んでいたせいで、田口弥生の髪は少し乱れています。
顔は上気しています。
ブラウスの袖が痛々しく破れています。
三拍子揃った、妙な色っぽさでした。
でもこれ、人が見たら絶対に誤解するなあ…。
「驚かせちゃって、ごめんなさい」再び謝る田口弥生。「いつも、どのタイミングで姉のことをカミングアウトしようか、困るんです。ホントにごめんなさい」
「いや、いいんです」僕は無理に笑いました。「その、佐久間象子さんというのは、あの佐久間象子さんのことですか」
「はい。こわもて管理栄養士の佐久間象子です。でも本人にそう言うと、『わたしはただの管理栄養士ではありません』と怒りだします。姉は栄養教諭の免許に加え、フードコーディネーターの資格も持っているのが自慢なんです。そこも褒めてあげなければいけません」
「それ、聞いたことあります」
「それだけではありません。食育必死講座1級でもありますし、食育プリーチャーの資格も取っています。それも自慢なんです。そこも褒めないと、機嫌が悪いんです」
「なんかよく分かりませんけど、すごいですね」
「それだけではありません。食育推進士試験はムラサキ合格しています」
「ムラサキ合格」
「ムラサキ合格が最上位です。次がキイロ合格。その次がアオ合格です」
「はあ」
「それだけではありません。炭水化物のソムリエでもあり、日本カルパッチョ協会認定カルパッチョ講師の免状も持っているのです」
「はあ」
「こういうのが、全部自慢なんです。全部褒めるまで、許してくれないんです」
「はあ…。聞きしにまさる大変さですね。そんな佐久間象子さんに、あなたのような妹さんがいたなんて」
「初対面の人は似てないって驚くんですけど、わたしの握力が右で85キロ、左で90キロあると知ったら、みなさん納得してくれます」
その点はナットク。
「で、ご相談というのは、お姉さんのことですか」
「ええ」
「そうですか…。佐久間象子さんのことでしたら、僕みたいなスケールのちっこい男に相談するより、もっと相談相手がいるんじゃないですか」
「おっしゃりたいことは分かります」田口弥生の瞳が潤んできました。「佐久間象子と関わらずに平和な人生を全うしたいと思っている人って、きっと多いでしょうし」
「いや、そこまで言わなくても…」
「いいんです。メタボ指導をしている姉の評判は知ってますから。松宮さんが嫌がる、というか怖がるのも分かるんです。でも、わたしを助けると思って聞いてもらえませんか?」
潤んだ瞳の田口弥生は、身をのりだし、袖の破れた手で僕の手を握りしめました。
ボキボキボキ!
あまりの痛さに、僕はギャーッと悲鳴をあげました。
「ご、ごめんなさい! またやっちゃった」
慌てて手を話す田口弥生。
「いやいいです。気にしないで」僕も別の意味で涙目になりながら「じゃあ、話だけ聞きましょう。でも、僕がお姉さんのことで何か手助けができるとは、考えないでください」
「分かりました」田口弥生は椅子に座りなおすと、神妙な面持ちで言いました。「姉が、食育をやめたいと言い出しました。あれほど強気だったのに、信じられません」
「食育をやめる?」
「虚しくなってきたようなんです」
「虚しくなってきた?」
「なんだかよく分からないんですけど、人が変わったように無気力になりました」
(以下、次号)