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松宮園生です。
自分は料理を基本やらない人間
です。
どうもその辺の才能はまったくない
みたいで、自分では何を作っても
マズイ。
お湯を注ぐだけのカップラーメン
ですら、自分でやるとマズくなって
しまいます。
レシピを作ることもありません。
つーか、できません。
食べ方に関しての想像力もキレイに
欠如してます。
どういうことかと言うと、飲食店で、
「お好みの食べ方でお楽しみ
ください」
と言われるのが苦手。
明確に
「塩を軽くふって食べなはれ」
「味ついてるから、なにもつけずにそのまま食べなはれ」
と言われるのがありがたい。
でも想像力のある人って、「どうしたらもっと美味しくなるか」という目で料理を見るみたいで、
「この料理さあ、お酢をかけてみたらもっと美味しくなるって思わない? 店員さーん、お酢ください」
「このままでも美味しいけど、ワサビをつけてみるのもいいかも。すみませーん、ワサビあります?」
というようなことは日常茶飯事らしい。
僕の頭からはゼッタイに出てこない発想です。
自分には味を想像することができないのかもしれません。
したがって、生まれてこのかた、レシピを作ったことは一度もありません。
料理好きの人にこの話をすると、
「あらン、レシピ作りなんてカンタンよ」
「自由に考えたらええのんよ、あ・ん・た」
と軽くエロくあしらわれます。
でもそれって、僕に言わせると、長嶋茂雄さんの野球教室と同じなんだよな。
「ヒットの打ち方? それはね、ピッチャーがビュッと投げてきたのを、スパン! と打つんだよ」
そりゃ、そうなんだろうけどさ。
さて、最近気づいたのですが、
* 実際に食育活動をしている人には、レシピ作りをやらない人が多いようです(僕みたいなケースは極端ですけど)。
* 逆に、いわゆる「料理好き」でレシピ作りを面白がる人には、食育活動をしている人は比較的少ないような気がします。
あくまで、漠然とした傾向です。
どうやらこういうことのようです。
* 料理好きの人は、料理の分野で活躍したいと思う。料理教室の先生やったり、レシピを発表したり。
* 食育好きの人は、料理やレシピそのものにはわりと興味が薄く、それより食の「知識」を伝えることに情熱を持つ。
(むろん例外はありますが)
◆◆◆
何年か前から、疑問に思っていることがあります。
「優れたレシピとは、どんなレシピのことをいうのか?」
「逆に、下手くそなレシピとは、どんなレシピのことをいうのか?」
農業コンサルタントの葉竹乃木夫さんがあるとき電話をかけてきました。
「なあ、バウムクーヘン野郎の松宮よ。自分の畑の隣にレストランを開いて、とれたての食材で料理を提供できたら、いいと思わんか」
「いいすね」
「そういう夢を持っている若い農家がオレのまわりには多い」
「多いと思います」
「彼らの”料理力”を磨いてやりたいんだが」
「それは、”料理の腕”を磨くということすか?」
「うーん、それよりむしろ、”レシピを考える力”を磨くって感じだな。ダイコンのかつらむきが上手じゃなくったっていいわけよ。しかしだ、自分の畑でとれたダイコンをもっとも美味しく食べるレシピを作れると、いいよなあ」
「なんとなく分かります」
「で、どうだい。農家が優れたレシピを作れるようになる。そんな講座を開きたい。松宮、カリキュラムを考えてくれないか」
「そんなの、僕じゃなくって、料理のプロの人に頼むものでしょう?」
「それが違うのだ。あの人たちはな、自分がなぜ優れたレシピを考えることができるのか、人に説明できないんだよ」
なるほど。長嶋茂雄さんの野球教室と同じだ。
「ヒットの打ち方? それはね、ピッチャーがビュッと投げてきたのを、スパン! と打つんだよ」
「というわけで松宮」と葉竹さん。「お前みたいな素人が料理のプロを何人かインタビューしてだな、優れたレシピを作るコツは何かを見出してくれたらありがたいんだが。で、それをもとにだな、2時間かける5回くらいの講座を組み立ててくれ。いいか、くどいようだが、料理の腕を磨くんじゃない。レシピの開発力を磨くんだ」
「あのー」
「なんだ? ん?」
「それって、仕事の依頼すよね。報酬とか、もらえるんですか?」
「お前ね」葉竹さんはゆっくりと言いました。「アスコルビン酸って、別名なんというか分かるか?」
「ビタミンCですよね」
「分かってるじゃないか。そういうことだよ」
電話が切れました。
(以下次号)