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松宮園生です。
以前、「食の世界のスーパーパワー その1」で、
戦後長いあいだ日本の学校給食がパン食だったのは
カーギルのインボーかも、と書きました。
あくまで噂ですが。
インボーかどうかわかりませんが、日本の農業が化学肥料を使い始めたのはメリケンのせいだという説があります。
ちなみに、メリケンというのは僕がアメリカ人を指すときに使う言葉です。
日本が無条件降伏し、マッカーサー元帥率いるGHQ(ほぼメリケン軍)が進駐してきたとき…。
(以下、食事中の話題にはふさわしくない内容が含まれています)
◆◆◆
マッカーサー「コンコン(ノックの音)。入るぞ」
日本政府「今日は何の用すか? こっちは敗戦処理で忙しいんだから、手短に頼みます」
マッカーサー「それは敗戦国の態度ではないな。まあよい。今日は食糧の話をしにきた」
日本政府「はあ」
マッカーサー「お前は軍隊出身ではないから知らぬかもしれぬが、軍隊にとって最も大切なものは何だか分かるか」
日本政府「そりゃ、ミサイルとか爆弾とかじゃないんですか」
マッカーサー「違う。兵器ではない」
日本政府「じゃあ、軍艦とか戦車とか、戦闘機とか?」
マッカーサー「それも違う。答はな、兵士が食べる、食べものだ」
日本政府「食べものですか」
マッカーサー「戦いを始める前に、兵糧(兵士の食糧)の補給ルートをしっかり確保することが何よりも重要なのだ。古今東西、歴史を通じ、兵糧の確保に失敗して戦闘に勝てた例は少ない」
日本政府「はあなるほど。だからあんたがたは、本国から山のように食糧を運んできているんすね」
マッカーサー「そのとおり。ソ連や中国といつ戦うことになるか分からぬからな。ただし、本国から運んでいるのは缶詰が多いのだが」
(マッカーサーが日本にいたのは今から60年も前ですが、そのころすでに缶詰は一般的なものになっています。ちなみに缶詰は19世紀初頭、つまり今から200年前に発明されたもので、度重なる遠征で兵糧不足に苦しむナポレオン軍が、最初に使用したと言われています)
マッカーサー「それでだ。今日は農村の視察をしたいと思ってやってきた。どこか案内せよ」
日本政府「今からですか」
マッカーサー「今からだ」
日本政府「いいスけど、視察してどうするんすか?」
マッカーサー「野菜を買う」
日本政府「野菜?」
マッカーサー「わが米軍兵士どもに、野菜を食わさねばならぬ」
日本政府「アメリカ人も野菜を食うんですね」
マッカーサー「正直言うとけっこう野菜嫌いが多いのだが、野菜不足は体に悪い。無理にでも食べさせようと考えている」
日本政府「その気持ちは分かります」
マッカーサー「新鮮な野菜を食べさせようと思う。このへんの農家から野菜を買いたいのだ」
日本政府「それ、マジですか?」
マッカーサー「なにか問題でもあるのか?」
日本政府「いや、別に…」
マッカーサー「米軍が金を出して買おうというのだ。日本にとってもドルが手に入るから、よい話ではないか」
日本政府「そうすね。じゃあ案内します。おいら、クルマがないんで、元帥のクルマでいいすか?」
◆◆◆
日本政府「このへんが農村地帯なんですけど」
マッカーサー「我が国の農場とはずいぶん違うな」
日本政府「へえ。そうですか」
マッカーサー「あそこで親しげに手を振っている男は?」
日本政府「やつは日本政府と契約している農家ですよ」
マッカーサー「あそこでなにをやっておるのだ?」
日本政府「肥やしを捲いてます」
マッカーサー「コヤシとは?」
日本政府「肥料のことです」
マッカーサー「なるほど。で、肥料には何を使っておる?」
日本政府「人間のウ●チですね」
マッカーサー「なぬ?」
日本政府「人間のウ●チです、元帥とか、おいらの」
マッカーサー「なんだと。…それを、畑に捲いておるのか?」
日本政府「はあ」
マッカーサー「ああやって、ヒシャクですくって、かけておるのか?」
日本政府「はあ」
マッカーサー「し、しかし、そんなことをしたら、野菜にもかかってしまうではないか」
日本政府「まあ、そうなりますね」
マッカーサー「そんなことしたら、食べれないだろうが?」
日本政府「洗えば?」
マッカーサー「それは理屈ではそうかもしれぬが…」
日本政府「なんか問題あります?」
マッカーサー「たいへん困る。アメリカ人は野菜をサラダで食べるのだぞ」
日本政府「あのねえ、元帥。あんたが飲みたい飲みたいとやかましいから、今日の朝食にお出しした野菜ジュース、材料はあの男から買いましたぜ。うまかったでしょ」
◆◆◆
マッカーサー元帥が気絶しているあいだに、葉竹さんからこんな話を聞いたので紹介します。
その当時、日本の農業は「肥やし」を使うのがふつうでした。
「肥やし」は、たくさんの量を必要としました。
そのため、農家の人たちは人がおおぜい住んでいる住宅地まで、はるばる「それ」を集めに行ったのです。
農村と住宅地はかなり離れていたので、まる1日かかる仕事でした。
彼らは早く起き、荷車に樽を積み、日が昇るより先に出発します。
「汲みとり」をするためです。
東京近郊の農家の場合、青山、赤坂、四谷、といったところ(昔のムード歌謡によく出そうな地名)が目的地だったようです。
農家は「汲ませてもらう立場」だったので、「汲みとり料」を払っていました。
で、汲みとり料を払い、樽を満杯にした帰り道。
重くなった荷車を、疲れたからだで何キロも何キロも曳くのはたいへんでした。
そんな彼らを手伝うために、農家の子どもは学校が終わるとすぐ、その足で父親を迎えにいったといいます。
帰ってくる父と途中で合流し、親子で荷車を曳きました。
もうすぐ太陽が沈みます。
肥料の確保のために、こんな重労働をしていたわけです。
◆◆◆
気絶から目を覚ましたマッカーサー元帥の命令により、進駐メリケン軍は本国アメリカから大量の化学肥料を買いつけ、日本の農家に売り始めましたとさ。
その後、化学肥料が普及した結果、
* 「肥やし」を使わなくなり、日本の生活環境が全体として衛生的になりました。
* 「汲みとり労働」が不要になりました。
化学肥料にも問題はいろいろありますが、この2点は、よかったことの部類に入ると言えるんじゃないかなあ。
<参考図書>
本当は危ない有機野菜―リサイクル信仰が生み出す「恐怖の作物」
http://astore.amazon.co.jp/shokuikuprodu-22/detail/4198626715