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食育の世界にご案内します。
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チーフの松宮園生です。
「農業の多面的機能」
ちょっと堅苦しいけど、こんな言葉があります。
農家さんはあまり口にしませんが、
農林水産省の人とか
自治体の農政担当の人とか
農業学者の先生とか
農業コンサルタントとか
農協の課長さんとか
農業系のNPOの人とか
僕みたいな「バウムクーヘン野郎」とか
そんな顔ぶれの人々が好んでよく使います。
農業って、何をする産業なのでしょうか?
「そりゃ、野菜とか果物とか米とか作ったり、牛とか育てたりすんじゃねえの?」
ま、たいがいそう思いますよね。
じつはそれ、そうじゃないかもしれない。
ほかにもいろいろ、農業にできることがあるんじゃないかな?
こう考える人が増えてきました。
「ほかにもいろいろ、農業にできること」
これを、「農業の多面的機能」と呼びます。
先ほど書いたように、農家さんはあまりそーゆーことを考えていません。
忙しいし。
むしろ「外野」の人たちが一生懸命そんな主張をしています。
これはどっちが正しいというものではなく、農家には農家の、評論家には評論家の立場があるということです。
「ほかにもいろいろ、農業にできること」とは何かというと、例えば、
愛媛あたりで「みかん狩り」
茨城あたりで「いちご狩り」
青森あたりで「りんご狩り」
宮崎あたりで「マンゴーハント」
こういうのは農業というより旅先のレジャーといったほうがいいかも。
オランダあたりでは「ケアファーム」というのが発達しています。
日本でいう養護施設なのですが、みんなで畑を耕して作物を作りながら、心身の成長を目指しています。
このケアファームが実際に心身の成長をもたらしているのかどうかの研究も進んでおり、そういう効果が高いという結果がでています。
(日本にもそういうの、ありますよね)
食育の一環として子供がナスの収穫を体験したりすることがあります。
農作業を体験すると食に対する関心が呼び起こされ好き嫌いが減ると言われていますが、統計的にもそれは正しいようです。
農村というと、
「美しい自然」
「豊かな生態系」
「温かい素朴な人々」
「日本の伝統文化が残っている」
こんなイメージがあって、都会の人々の疲れた心をひきつけます。
そんなわけで、昨今は
「農業には観光客を呼ぶ力がある。農業を観光業と考えて客寄せをしよう」
と考える人が増えました。
◆◆◆
脱サラしテケテケ村で農業をはじめた小判大介君と妻のゆかりさん。
彼らは純粋に「いちごを作ろう」と思って農業をはじめたわけですが、先日、村の寄合に出席したら(こういうのは面倒でも出ておかないと、いろいろ困るのです)、葉竹乃木夫さんという名の農業コンサルタントのおっさんが
「農業の多面的機能」
についてなにやら能書きをたれていました。
要は、農業を観光業と考えたら(観光農業といいます)、収入が増えるかもしれないぞ、ということです。
そっか、ウチも「いちご狩り」すっかな。収入ほしいし。
葉竹さんの話を聞きその気になった小判君。
一方でこんなことを言うノリの悪いジイサンもいました。
「なにが観光農業だ。それで人がわんさと押しかけてきたらワシは困るぞ」
「ミスミのジイサン、あんたなにをいっとるんだ。収入が増えるんだぞ。なんの文句がある」
村長が困惑した顔で言いました。
村長としては、はるばる東京から葉竹さんという偉いコンサルタントのセンセイを呼んだ出前、葉竹さんを否定されるわけにはいきません。
しかしミスミのジイサンは頑固にぶつぶつ文句をいいつづけます。
「都会の不心得どもが押しかけてきたらワシの畑が踏み荒らされる。よそもんは小判の小僧だけで手一杯だ」
いきなり自分の名前がでたので小判君はぎょっとしましたが、黙っていました。
そっか、ミスミのジイサンは独身だから、山羊のメリーでは懐柔できなかったんだ…。
(小判君が山羊のメリーを使って村人を懐柔したいきさつを知りたいひとは、ここをクリック)
寄合の数日後。
小判君がミスミのジイサンの畑の前を通りかかると、畑にはロープが張られていました。
そして立札が何本か。
そこには
「立入禁止。入ってきたやつは罰金10万円」
と太い毛筆で書かれていました。
(以下次号)