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食育の仕事をしてみたい人、必見!
人気「野菜ソムリエ」と「プロダクション・チーフ」が
食育の世界にご案内します。
◆◆◆
シニア・野菜ソムリエの遠山由美です。
最近も食育関連の行事によく参加しておりますが
暗?い気分で帰ってこなければならないことも少なくありません。
「どうして暗い気分になるのか」考えてみました。
暗くなるときに参加している会は、きまってこう始まっています。
「今、子供たちがあぶない!」
「今どきの子供はこんなに変!」
「今どきの親はなってない!」
今の子供たちが心配で暗い気持ちになるのでしょうか???
いえ、違います…
どうやら…
嬉々として子供批判を繰り広げる人達に違和感を感じているのがその原因みたい…
先日、そんな
「今の子供たちを救え!食育」
を繰り広げる人達のテンションが、さらに高まりそうな報道がありました。
財団法人「日本青少年研究所」の発表した「小学生の生活習慣に関する調査」を
もとにした報道です。
近年、日本の小学生の学力低下が叫ばれて久しいけれど
同時に調査した中国や韓国の小学生の生活習慣や考え方に比べ
全体的に消極的で意欲に乏しい、というのです。
確かにこの調査を見ると
素晴らしい!とはいい難い実態です。
私だって…朝起きたら、顔ぐらい洗えば??!とは思いますし
細かい心配りをして作った食事を
テレビ見ながら上の空で食べられたら悲しいです…
でもこういうのを根拠に騒ぎ立てる一部の人達にはもっと強い違和感を覚えます…
たとえば
給食費を払わないふとどきな親!も大騒ぎにはなりましたが
実際にそういう行為をしている人は1%です。
私が子供の頃にも、1%くらいは
「子供もビックリ!」
な親っていました。
私が生まれたのは
日本がもっとも経済成長をしていたころ。
環境問題なんて言葉もなく
ようやく教科書に
四大工業地帯と公害問題が載り始めたころでした。
また教育課程も一番盛りだくさんな時期で
家庭内暴力だの校内暴力だの
といった問題がでてきたのも私達の世代でした。
偏差値による輪切り教育、管理教育といわれ
子供の個性が無視された時代です。
校則が厳しくて
私のように「ナニジン?」なんてきかれることがあるくらい
全体に色素が薄めで、髪もかなり茶色い人間は
「染めていない」という証明書の提出を求められたほどです。
中には黒く染めることを強要するような学校までありました。
(染めるような生活態度が問題なんじゃないんかい!!)
実は私…ひじの関節のつき方がおかしくて
普通に鉛筆をもったのでは
芯が紙につきません…
いえ、正確にいえば
こんな風に理解できるようになったのはずっと後のこと。
小さな私に認識できていたのは
「正しい鉛筆の持ち方」をすると
字が書けない…ということだけでした。
同時に、どのように鉛筆をもてば字が書けるかも知っていました。
が…そんな持ち方、「正しい学校生活」のなかで許されるわけはありません。
「字が書ける鉛筆の持ち方」をすると
腕に先生の竹の30センチものさしが飛んできました。
で、どうしたか。
先生が黒板の方を向いているときにすばやく文字を書き
先生がこちらを向いている間は考えているフリをする
というワザを編み出しました。
その結果、無事平和に過ごせたかというと…そうでもなく
「なぜこんなに字が汚いのか。もっと丁寧に書きなさい」
としかられましたし
家で落ち着いて書いた字が並ぶ宿題は
「本当に自分でやったの?」といわれる始末。
曲がった腕のお陰で
足を使う体育はそこそこできても
ボールを投げたり、跳び箱を飛んだり
腕を使う体育の時間は「ふざけているのか!」
とよく叱られました。
まあ、学校なんてそんなとこ、と思っていましたが
「正しい」といわれることにすぐ疑問を感じるような
性格になったのは
こんな経験の影響があるのかもしれません。
今でも主役より脇役
人気者より変わり者に心引かれます…
(らしいです。本人はいたって普通のつもり。)
なぜ、そうなのか…
本当にそれ以外は許されないことなのか…
熟考したり、事情を考慮したりせず
何らかの基準を厳密にあてはめ
「良い、悪い」と決め付ける教育が
復活するのではないか
とひそかに恐れる私なのです。
誤解しないでくださいね…
実際に文部科学省管轄の場所で行われている食育(幼稚園とか小学校とか)
を心配しているのではありません。
頑張っている給食の現場も
苦労して食育を推進している校長先生も
存じ上げています。
そうじゃなくて…
直接学校には関ってはいないのに
子供たちをみてもいないのに
(だから本当の実態をどこまで知っているか疑問なんです。
センセーショナルなマスコミ報道だけが根拠みたいな感じを受けます)
文部科学省的な食育を行おうとしている人達に
疑問を感じているのです。
いまどきの子供って…
問題がないとはいわないけれど
トータルではそんなに悪くない、って思っています。
時代に合わせて生き延びようとしているだけじゃないかしら。
私の鉛筆体験と一緒…
子供たちをどうにかしたいなら
子供にはたらきかける前に
環境を変える方が先じゃないかしら。
子供たちは生き延びるために、環境についてきますから…
いまどきの子供って…
自分の子供時代とは違って当たり前でしょ。
それが退化だったのか進化だったのかは
同時代を生きる私達には判別がつかないはず
ずっと後になって評価がきまるのではないでしょうか。
自分の子供時代と違うから駄目なんて…
自分と異質だから駄目なんて…
ちょっとこわい。
もちろん
健康問題等実際にトラブルとなっている部分については
改めなくてはいけないと思いますが。
また「正しいこと」「基準」「平均」を決めること自体も否定しません。
多くの人が「よい」と感じるものには
なんらかの合理性があると思うからです。
例えば「お箸の持ち方」。
正しくもった方が使いやすいし
何より綺麗。
小笠原流礼法など学んでみると
その美しさと合理性、物を大切にする心が見事に調和していて
心から素晴らしい、と感嘆します。
(お作法は学んでおくと、自分の所作に自信を持つことができますからおすすめです)
要は中心から外れるものを
どう評価するかの問題ですね。
平均的な感覚と
自分の感覚との距離を知ること。
これは仕事をするときとても大事になります。
余りに独善的では仕事になりません。
自分自身の価値観を守りながら
仕事でも成功するには
この差異と距離感を知らなければなりません。
先日お話しさせていただいた国産ワインメーカの社長さんとも
「自分の感覚と価値観を大事にしながらも
平均的な感覚や価値観とのズレや距離感を自覚することがとても大事」
なんていうお話しをしてまいりました。
その話はまた今度…
鉛筆の正しい持ち方はこちら。
トンボ鉛筆さんのサイトです。
「正しい」ということの定義まで載っていました。
観念的な「正しい」ではないので、とても納得感があります。
お箸とハサミの「正しい」使い方も学べますよ。